安藤さんの講演、都市を考えるということ、勇気

昨日、建築家安藤忠雄の講演会があった。
いつ聞いてもあの人の講演は面白い。
だいたいしゃべるネタはいつも決まっているんだけど、そのいつものネタをとても面白くしゃべる。
そのネタが安藤さんの伝えたいことにちゃんと繋がっているから、ビックリだ。
いつも思うけど、安藤さんはとてもアウトプットがうまい人だと思う。
講演にしても、本にしても、テレビに出るにしても、


自分が伝えたい事をどうしたら、相手にちゃんと伝えられるか?
自分が伝えたい事を相手に分かってもらうためにはどうしたら良いか?


この2つをちゃんと抑えられてるんだと思う。
それが聞きやすくて、聞いたあとになにか充実感のある講演を生んでいるじゃないかな。

覚悟

昨日の講演でのテーマの一つが
「覚悟」
だった。
何をやるにしても覚悟がいる。
若いときは失敗してもいい。
でも覚悟はちゃんと持て。


安藤さんの本で
ル・コルビジェの勇気ある住宅』
という本があって、僕はその覚悟の話を聞いて、このタイトルを思い出した。
勇気ある住宅。
覚悟はとても勇気がいる。
覚悟はたぶん自分との約束。
自分はこうするんだと決めて、それを守り続けることが覚悟だと思う。
それはとても勇気がいるとおもう。
人との約束は守らないとダメ。
守らないとその人に迷惑をかけるから。
でも自分との約束は守らなくても大して害がない。
だから簡単に約束を破ることができてしまう。
その約束を守り続けるのは「勇気」以外の何物でもないと思う。

奪うということ

今、設計課題で都市計画をやっている。
吹田市南部の地域を再生させるという都市計画。
その地域のために「建築は」何ができるかを考えている。
何ができるかといったら、建築を作って、空間的に問題を解決するということ。
でもこれは同時に「空間を奪っている」と思う。
なにか新しいものを提案すると、必ず古いものを犠牲にしなくてはならない。
菊竹さんが「都市は新陳代謝する」と言っていたから
新しいものが古いものにとって変わるのは当然といえば当然。
でも、古いものを犠牲にするというのは人から物を奪うというのと同義だと思う。
その古いものはきっと誰かが大事に思っていた物。
誰かが昔から大事にしてきた物。
新しいことを提案をするということは多かれ少なかれ、そういう大事なものを奪ってしまう。
建築は誰かから何かを奪うことで成り立っている。
誰かから何かを奪わないとだめなんだ。

奪う勇気、作る勇気

人から何かを奪うのはとても勇気がいることだ。
それを奪うことで、寂しがる人、悲しむ人が出てくる。
もしかしたら恨まれるかもしれない。
恨まれるならまだいい。
奪われたことによって、虚無感を感じる人もいる、
そういういろんなことを背負ってなお、「奪う」という決断をしないとだめなんだ。
これは勇気がいることだと思う。


奪ったあと、僕らはそこになにか新しいものをつくる。
これも勇気がいる。
新しいものが、そこに昔あったもの、皆が大事にしていたものと
同じくらい、それ以上に大事に思ってもらえるようにしないとダメ。
皆に「新しいものも大事にしよう」と思ってもらえるものを作らないとダメ。
そしてそれがまた脈々と受け継がれていく。
脈々と受け継がれるものを作る。
勇気がいると思う。


建築はつねに「勇気ある建築」なんだと思う。
その勇気を持たないと。