旅行とか建築とか

旅行記を書き上げる前に、先週の建築合宿について書いてしまう。
自分が所属していた10班がどのように取り組んだかを中心に書く。
少々長くなるとおもう。
大まかな流れは
コンセプトを決めるまで→決定後の行動→最終講評会
という流れ。
明日は今回の合宿で学んだことを書く。
メインは明日の方なので、今日のやつはスルーしてもOK。

建築×合宿10とは

建築×合宿10(以下、建築合宿)は
主に近畿圏の大学で、建築を勉強する1、2回生が集まり、1週間、建築について取り組むものです。
今年は近畿大学で3/21〜3/27にかけて、開催されました。
5人1組のグループワークで1つの作品を完成させます。
作品の提出形態は自由です。
その作品をどこに建てるかとかも自由です。
「お題」沿っていれば、なんでもOKという非常に自由な活動です。
まあ、この自由が泥沼化の原因にもなるのですが。

難解なる「お題」

建築合宿は、あるひとつの「お題」についてグループで考えて、
作品にしていくという形態を取っています。
今回はTNAという建築家グループの方から、
「接する建築
というお題が提示され、それに全員で取り組みました。
以下、課題文より引用

「接する建築」
建築とは何かと何かに接しながら、成立しているものだと思います。
「接する」ことを見つめ直す事が、
建築の本質を考えるきっかけになればと思います。

「接する」ということが建築の本質を見つめ直すきっかけになる。
じゃあ、その「接する」とは何だろう?
ぶっちゃけたこといえば、人は常に、絶対に何かと接している。
「接する」ってなんだ?
議論はここからスタートしました。*1

辞書的な意味からのアプローチ

まず、取り組んだのは、辞書的な意味から
「接する」
の意味を考えていく。
広辞苑で「接する」を引くといろいろな意味が出てきます。
これをどんどんピックアップしていきます。
次に出てきた意味をどんどん整理して、
大まかに4つの内容に分類しました。

  • つながる、続く
  • 1点において交わる
  • 交わる、応対する、会う、出くわす
  • 近づく


この4つをもとにこれからアイデアを膨らましていく・・・・・・はずだった。
ここで議論は一旦、ストップ。
これらに分類したのはいいけど、ここからさきの進み方が分からない。
敷地が設定されていたりするなら、その条件に従い、
コンセプトを決め、スタディ模型を作ったりして、
形に落とし込む作業に移ることが出来る。
今回はそれらの条件がない。
自由すぎる。
自由すぎるが故に進み方が分からなくなってしまった。
議論は踊りもしないし、進みもしない。
泥沼化状態。

泥沼の中であがいてみる

泥沼化状態にあるけど、いつまでも泥沼化ではダメ。
建築合宿では毎日、ミニプレゼンというものがあり、各班が進捗状況とかを報告しあう。
そこで他の班がどの様に進めているかを聞いて、
「なんとかならないかな〜」
と考える。
ミニプレゼンでヒントを得たもののひとつが
「接しない建築」
「接する建築」の反対の意味である「接しない建築」。
これを考えていくことで「接する建築」が見えてくるのではないか?
そう考えたら、とりあえずは行動に移す。
グループ全体で「接しない建築」について考えていく。
すると、
「接しない建築」は無理なんじゃないか
という結論に至った。

「接する建築」の再考

「接しない建築」はない。
そういう結論に至り、次の段階に進む。
「接する」って、何と何が接するの?
「接する」というからには最低、2つ以上のものが必要である。
これらのものが一体なんなのかということを考えていくことにした。
すると出てくる意見は、

  • 人と人
  • 人と自然
  • 人と

というふうに、何故か人主体になってくる。
ここで次の疑問が湧いてくる。
人抜きで「接する」ことは出来ないのか?
自然と建築物とかそういった感じで、人抜きで何かと何かが「接する」*2ことが出来るのか?
これもグループで考えまくった。
人抜きに「接する」ことで建築は成立しうるのか?ギリシアの神殿は最初、人が入ることを想定して作ってはいなかった。でも、れっきとした建築である。なら、人が接しないことでも、建築は成立するのではないか?でも、建築は人を守るための物のはずだ。そこから人を抜いたときに、その建築に意味はあるのだろうか。
・・・・・・
こういった議論を積み重ねていった。
すると、だんだん建築には「人」が接していないとダメなんだということが見えてきた。
「人」というのは建築に必要不可欠なもの。
こういう結論に至った。

人と

建築に「人」は必須。
じゃあ、この「人」と「接する」のはなんだろう。
これについてもグループみんなで、
あーじゃないか、こうじゃないか
と言い合いながら、議論・議論・議論。
議論に議論を重ねていく。
その過程で、
「人」と「接する」ってなんだろう?
という疑問が湧いてくる。
今度はこの疑問に議論・議論・議論!!
ホント、ここにくるまで、議論しかしていない!
でも、その議論のかいあって、ここでやっと何かが見えてきた。
「接する」とは「出会う」こと
「人」と「出会う」ことにより空間に変化が生じる。
それが「接する」だ。

僕らの班はこのように定義した。
スタートからここに来るのに、2日掛かっている。
2日かけて、やっと足がかりを作ったという感じ。

中間講評会、来日

こういうふうに「接する」とは何かということに至ることができた。
で、この次に襲来してきたのが中間講評会。
進み具合とかを建築家の先生に見てもらうというもの。
それでこのプレゼンを何かいろんな流れで僕がやることに。
知っている人は知っていると思うが、僕はプレゼンが苦手。
アジャパーな事態だけど、ここで何とかして、自分たちの考えを伝えたい!
そう思い、一番伝わる方法は何か?どうしたら印象に残るか?ということに
主眼を置いて、プレゼンをすることに。
内容は前半が「接する」=「出会う」という形に至った経緯の説明。
後半は小芝居でこの「出会う」というものを説明することに。*3
先生たちの反応はマチマチだった。
でも、
「これを建築に落とし込んだら、おもしろんじゃない」
という反応をいただけたことが、一番うれしかった。
講評会後のエスキースで、
どうやって建築に落とし込んだらいいのかということを
先生に相談した。
そこで出たのが、「空き家」という案だった。

空き家問題から出会いを見る

今、日本は空き家問題が深刻化している。
このことについては、新建築の3月号を参照してもらいたい。
この「空き家」を活用して、新たな「出会い」「接する」空間を作ろうというのが、
大まかな流れになった。
中間講評会の翌日は近大周辺での空き家探しがメインの活動になった。
不動産屋さんをまわって、空き家が無いか聞いていく。
大体の反応は「買いもしないのに見せられない」というもの。
もうだめかと思いながらも根気よく、調査を続けて、
グループの先輩が下宿探しでお世話になった不動産屋さんに行った。
事情を説明すると、
「ここなんかどうやー」
とすごいあっさりと物件を紹介してくれた。
すごいいい人だった。
大阪の人情とかそういうものを直に感じた。
すごい嬉しかった。
よく考えれば、これも「出会い」だね。
たぶん、この人と出会ったから、前に進めたんだと思う。


紹介してもらった空き家は2件。
どちらも非常に面白そう。
でも、時間的にどっちもやるのは無理。
どちらに絞るかで、もう一度議論しなおす。
結果、昔ながらの長屋を採用することに。

いよいよ設計?

長屋を採用することに決まってから、よし設計だ!というノリに。
でも、設計するにもまずはスタディ
残された時間は少なかったけど、とりあえず、スタディ
長屋にどの様に変化を組み込むか
ここでも議論・議論・議論!!
議論しながらも、、作業・作業・作業!!
スタディ模型を作って、考える。
どうしたらいいかを考える。
その繰り返し。
そういうことを繰り返していたら、なんか時間は進み、
最終講評会前日に・・・・・・。

最後の追い上げ

最後はグループ全体で必死になって追い上げた。
CADで図面を仕上げ、同時進行で模型も作る。
なんとしてでも、なにか成果物を出さなければならない。
あのときは本当にすごかったな。
あの徹夜づくしはたぶんすごい思い出になるとおもう。
とりあえず、この追い上げ中は作業ばかりなので省略。
機会があれば、この時の裏話とかも書きたい。

最終講評会

最後の追い上げが終わり、最終講評会に突入。
この最終講評会についてはあまり書けないというか、
睡魔に勝てず、寝ていたというか・・・・・・。
すごい勿体無いことをした。
最終講評会については色々と反省する点が多かった。
まず、無理してでもパワーポイントでスライドを作るべきだったと思った。
パワポが有るか無いかでは全然、雰囲気が違う。
やっぱり紙媒体onlyでは、迫力にかけてしまう。
あと、期間が短かったからとかそういう言い訳は見苦しい。
出来なかったら、出来なかったで、腹くくって、最善のことをすべき。
期間は皆平等。
その中でどこまで出来るかというのが勝負なんだから、
出来なかったことに言い訳したらダメだ。
そう感じた。

以上大まかな流れ

これが建築合宿1週間の流れ。
最終講評会のあとは打ち上げがあったけど、
それは省略。
とりあえず、打上で白いご飯が食べたかった。
明日は今回の合宿で学んだことをまとめていく。

*1:まあ、これが結構泥沼化するんですが

*2:建築的に

*3:たぶん、かなり印象的なプレゼンだったんじゃないだろうかと自負している