世界は存在しないという結論に至った

昨日の話について、今日、マクドでコーヒーMサイズを飲みながら、考えていた。
そしたら、予想外の結論に至ってしまった。
それは
「世界は存在しえない」
ということである。

どうしてこうなった

なぜ「世界は存在しえない」というバカげた結論に至ったかというと、
世界の原初、一番初めを考えてしまったからだ。

順番に話していこう。
まず、僕は今日の記事の構成を頭の中で練っていた。
「真の予想外」がなぜ、現在になりうるのかということである。
これには実は「他者の存在」が大きく関係している。
この世界は僕一人ではなく、多くの人々により、成立している。
その多くの人々それぞれが、予想をすることで、いくつもの仮想未来ができているのだ。

図はAさん、Bさん、Cさんがそれぞれ予想をし、仮想未来を形成している状態を示している。
青、緑、紫が形成された仮想未来である。
Aさんが形成しなかった仮想未来は、BさんやCさんが形成しているかもしれない。
だから、Aさんにとっての真の予想外はBさんにとっては思い込みの予想外かもしれないし、
Cさんにとっては予想外ではないかもしれない。
僕はこのような大勢の人の仮想未来が統合されることにより、
どのようなことも予想が可能であると考えた。


しかし、このとき第一段階的な疑問がわいた。
仮想未来とは予想の事である。
その予想をしているのは現在である。
ならば、仮想未来は現在の産物ということになる。
現在の産物が現在を形成することなどできないのではないだろうか。

実は違うかった

さて、仮想未来が現在の産物だとしたら、そもそも現在など存在できない。
これは困った。
そこで、考えたのは、仮想未来が実は「過去の産物」ではないかということ。


予想は過去の蓄積データから、考えられらものだ。
ならば、仮想未来は過去の産物だと言えるのではないだろうか。

図は過去と現在と仮想未来の関係を示している。
過去のデータをもとに、仮想未来が形成され、それが現在となる。
この考え方は過去・現在・仮想未来をうまくつなぐことができるので、
自分的には上出来だと思った。
しかし、あることを考え方ことで、この考えは崩壊した。

世界の始まり

あること、それは世界の始まりについてである。
世界の始まりとは本当に世界の始まりである。
世界がスタートした時点である。


世界がスタートしたということは、すなわち、まだ過去が形成されていない。
過去が形成されていないということは仮想未来は形成されえない。
仮想未来が形成されないということは、現在が生じえないということになる。
これはすなわち、世界は始まった瞬間から動けないということである。
スタートを切ったのはいいが、次の一歩が踏み出せないのである。

仮想未来が間違っているのか・・・・・・

ここからが泥沼化の道である。
こうなった場合、まず疑うのはここまで至った手順の不備。
次に仮想未来という仮定そのものが間違っているのではないかと疑う。
仮に仮想未来が間違っていると仮定しても、未来が存在しないという仮定は間違っていないはずである。
しかし、その場合、世界の始まりには過去も未来もなく、世界が時を刻むことはできなくなる。
すなわち、時間的に見て、「世界は存在しえない」のである。
「世界は存在しえない」とう結論に達したのに、この結論を出した「この世界」はまさに今存在している。
存在しえないものが存在している。
このような矛盾に今現在陥っているのである。

宿題:突破口探し

2009年最後に、えらくデカイ問題に直面してしまった。
もしかしたら、仮想未来論そのものの無理があるのかもしれない。
もう少し考えてみよう。
何か突破口が見つかるかもしれない。