仮想未来論

18日の記事(仮想未来論)
18日の続き
今日は18日の続きの続き。

未来は無く、僕らが未来だと思っているものは
実は僕らが予想したことが仮想的に未来の役割をしているだけだ
というのが、仮想未来論である。
18日はこれを紹介して、18日の続きではこれが「人の万能性」を認め、
それは大きな間違いであるということを紹介した。
すべての予想が仮想的な未来になるということは、
人の予想が全て未来になる=未来は全て予想できてしまう
というのが、「人の万能性」である。
人は万能ではないから、人の万能性を認めることは大きな間違いである。
仮想未来論が成立するためには、
この人の万能性についての問題を解決する必要があった。
それで最近考えたこれの解決策は、「予想外」ということ。
予想外とは読んで字のごとく、「予想の外」、予想していなかったことである。
僕はこれには2種類あると考える。
それは「思い込みの予想外」、「真の予想外」である。

頭の中から除外されてしまう予想=思い込みの予想外

18日の記事の中で、仮想未来というものは
起こる可能性が高いものから低いものまで、全ての予想が未来になると書いた。
この「起こる可能性が低いもの」が「思い込みの予想外」の原型である。


起こる確率が低い予想というものは一応、僕らの中で予想されるのだが、それが思考の中に残ることはない。
僕らの無意識の中にはあるから、存在はしているのだが、僕らが思考することはない。


たとえば、「明日地球が滅亡する」という予想は頭の中に沸いても、すぐに消える。
これは明日地球が滅亡することはまずないからである。
どっかの大国が核ミサイルを連射しない限り起きない。
その核ミサイル連射もまずないだろう。
だから、「明日地球が滅亡する」という予想について、いくら思考しても無駄なのである。


僕らが思考することはないけど、存在はしているから、この予想は僕らの仮想未来になる。
でも、僕らが思考・思案しないから、この予想が現実になると、びっくりして、
「予想外だ!」
という。
しかし、実は予想外ではなく、予想内の出来事である。
このように、実際には予想されているのだが、思考されることのない予想が
現実に起こったときの予想外が「思い込みの予想外」である。

本当に予想外=真の予想外

「思い込みの予想外」に対して、「真の予想外」は
マジの予想外である。
思い込みの予想外は一応、予想されていた。
真の予想外は僕らに予想すらされない。
予想すらされないから、僕らの仮想未来にもならない。
だから、これが起こることは本当に予想外なのだ。
ゆえに「真の予想外」なのである。

ちょい待て!

予想外を2種類に分けた。
このことについて、読者の方はこう思うだろう。


「思い込みの予想外」については、OKだとして、
「真の予想外」は少しおかしいんじゃないか!
仮想未来にないということは、仮想未来ではないということだ。
仮想未来でないことがなぜ現在に起きるのだ!
仮想未来という原因があるから、現在という結果があるのだろ!
ならば、仮想未来という原因が無ければ、現在と言う結果もないということではないか!
「真の予想外」という考え方は以上のような点でおかしい!


そう、「真の予想外」というのはおかしいのだ。
仮想未来でない(=現在になりえない)のに現在になるからである。
これは仮面ライダーになれない普通の人(「歩いている人A」とか)が仮面ライダーになってしまうようなものだ。
そんなことありえない。
そう、本来ならあり得ない。
でも、唯一、なりえる方法がある。
「歩いている人A」がもし仮面ライダーの変身ベルトを拾ったら・・・・・・。
「真の予想外」が「仮想未来」になりうる変身ベルトを拾ったら・・・・・・。

続きはまた今度

ここまで、引っ張って、続きはまた今度です。
次回書くときは話を一度仮想未来に戻します。
真の予想外の謎を解くカギは、真の予想外が、
僕らにとっての真の予想外であるということです。