なぜ、安藤建築を嫌いになったのか?

さて、この日記を書き始めた瞬間に、7月が終わり、8月に突入しました。
去年の今頃は、学校で受験勉強に明け暮れていました。
懐かしい思い出。
昨日、来年受験を控えた後輩と5分ほど立ち話をしました。
あちらからは、
僕が夏休み中どのくらい勉強したのか、
センターの準備はいつから始めたのか、
大学は楽しいのか、
などなどの受験生としては当然気になるであろうことが質問として挙がりました。
こちらはそれに答えながら、
受験期間中はどんなふうに過ごしたのか、
センターよりも二次の方が試験を受けていて楽しいということ、
淳心のセンター会場の配当は超微妙ということ、
京大入試がどのようなものだったか、
落ちて関大に行った時の心境と、今の心境
などを話しました。
受験生よ、夏の間に悔いが残らぬよう、勉強せよ!
あと、頑張りすぎで、夏バテしないように!
3食しっかり食べて、健康に過ごしてください。
形を変える
形を変える posted by (C)ELB-S
 
本題に入る。
最近、どうも安藤忠雄の建築が嫌いになったようである。
特に、最近の建物。
僕はこれを疑問に思う。
僕が建築家というのが凄いと思ったのは、
小学生の時に見た安藤忠雄の建築を見たから。
それから、中学・高校と安藤建築にどっぷりとはまっていた。
しかし、大学に入り、建築を勉強しだすと、
今まで憧れであったはずの安藤建築があまりにもお粗末なものに思えてきた。
 
しかし、安藤忠雄が嫌いになったのではない。
安藤忠雄はその考え方、人生など強く惹かれるものがあり、絶対に嫌いにはなれない。
でも、なぜか、安藤建築は嫌いになってしまった。
この理由として、以前、ウィトルウィウスの建築の3要素という点から考えた
 
それで、また、新たに嫌いになった理由というものが浮かんできた。
それは安藤忠雄に原因があるわけではない。
それは僕自身に原因があるものなのだ。
嫌いになった理由が嫌いになった対象ではなく、自分自身に端を発するというのは、
おかしな話だが、実際そうなのだから仕方がない。
 
さて、その原因なのだが、それは僕が子供心を無くした事じゃないだろうか。
僕が小学生の頃、安藤建築はまるで迷路のようで、それが楽しかった。
長い廊下、回り階段、同じと事に至るいくつもの階段、長いスロープ・・・・・・・。
全部、子供の目から見たら、楽しいものばかりだ。
長い廊下を見たら、走りたくなる。
回り階段とか、あのぐるぐる感が楽しかった。
スロープや長い階段は、一番上まで登ってから、一気に下まで駆け降りるのが醍醐味であった。
 
今の僕はこれらを、そういう視点で見る事が出来ない。
回り階段やスロープがいくつもあるような建物は動線の面でとても不便だな、
と感じるようになった。
それらを見て、駆け登ったり、駆け下りたりしたい衝動がないわけではない。
しかし、それよりも先に、それら「子供心くすぐるもの」を子供心を通さずに、
考えてしまっている。
ここにこの階段をつけると不便だ、こんなスロープ、車いすでは無理だ・・・・・・。
 
もし、戻れるのならば、小学生のころに戻りたい。
小学生のころに戻れば、今は嫌いになってしまった安藤建築を、
子供心をたっぷりと持って、楽しめるだろうから。