なぜ、水を無駄遣いしてはいけないのか

子供はよく親に水を無駄遣いしてはいけないと言われる。
これに対して、子供はなぜなのかを聞く。
この理由には水道代が高くなるからとか、いろんな理由があげられるが、
親が決まって述べる理由は次のようなものだ。
 
「世界には水が飲めない人がたくさんいるの!
その人のことを考えてあげなさい!」
 
 
これは事実としては正しい。
日本にいるため、実感はわかないが、
安全な水をいつでも飲める国はごくごく限られている。
世界には水不足で悩む人が大勢いる。
しかしながら、これが水を無駄遣いしてはいけない事の理由になるだろうか。
 
何にも知らない子供に海を隔ててどころか、遠く離れた異国の水事情を
想像しろと言うのは、いささか無理があるのではないだろうか。
並外れた想像力をもっている、もしくはその国に行ったことのある子供なら、
即座に水不足で苦しむ人々の心境がわかり、水の無駄遣いをやめるであろう。
しかし、そのような子供はおそらく稀である。
ほとんどの子供はそんなこと想像もできないのではないだろうか。
少なくとも僕はそうであった。
 
それに今、自分が水の無駄遣いをやめたところで、
水不足に困っている人の下に水は行き渡らないのである。
すなわち、どんなにこちらが水の無駄遣いをやめたところで、
遠く向こうの異郷の地で水不足という問題を解決する事はできないのである。

 
これらのことを考えると、この親が挙げた理由は水の無駄遣いを
やめることに対する根拠のあるしっかりとしたものでない事になる
 
では、実際のところ、無駄遣いをしてはいけない理由とは何だろうか。
僕が最近まで読んでいた『野望としての教養』によると、
このような考え方になる。
 
理由なんぞいらねー!ダメなもんはダメなんだよ!
なんか、文句でもあっか!

「これ、理由なんかい!」と突っ込みたくなるかもしれない。
しかしこれは、理由ではない。
あくまで考え方である。
なぜ、このような考え方になるか。
それは理由が分からない、説明できないからである。ようは親も水を無駄遣いしてはいけない根本的な理由は分かっていない、
分かっているが説明できないのである。
説明できないから、子供が水の無駄遣いをするのを許していいかと言うと、
それは否である。
許してはいけない、でもそれを説明できない。
だから、「俺様が正しい」という独裁政権的な形で抑え込むのである。
独裁政権的と言うと悪く聞こえるが、
これは子供に世の中理屈だけではないということを
伝える重要な役割を持っているのである。