景観と斬新さ

日本の町並みはどこに行っても一緒というのはよくいわれることだ。
確かに、日本の都市に行けば、目に入ってくるのは大体似たような風景。
実に無機質な街並みがただただ漠然と広がるばかりである。
しかし、これらの漠然とした街並みも景観である。
景観と言えば、京都の町屋だとか、倉敷の美観地区だとか、
そういった古い建物が集まって、
昔の街並みを形成しているところについてのみ重要だと思われがちだが、
実際には都市部や住宅地においても景観とは重視されるべきものなのである。
たとえ、それが無機質なビル街であったとしても、
そこには景観が形成されているのである。
 
さて、近頃よく
オフィスビル街に突如として現れた斬新なデザインの云々」
という件の新たな建築物を目にする。
これを実際に見てみると、確かに斬新だ。
他とはまったく異なる雰囲気を醸し出している。
しかし、その斬新性について疑問に思うことがある。
 
斬新であるというのは周囲の景観と合わさっていないということではないのだろうか。
 
その建物が斬新に見えるのは、
周囲にある建物、周囲の風景と比べ、その建物が異質であるからではないだろうか。
異質であるということは、極端なことを言ってしまえば、
周囲の景観を壊していることになるのではないだろうか。
しかしながら、それが景観を壊していることにならないのは、
その異質さがその時々の流行だとかにあっていた、
すなわちは人々の好みに合っていたためではないだろうか。
では、その建物の異質さが人々の好みに合わなくなってしまうとどうなるのだろうか。
あるまたまった景観の中に異質なものがポツンとある。
これを景観を壊していないといえるだろうか。
 
時の流れとはだれも予測できないものであるから、
それを予測し、建物をデザインすることは難しいことであろう。
しかしながら、あまりにも「斬新すぎる」ものを作ることは、
その後の周囲の景観を大きく左右することになる。
 
 
というのを、最近ふと思った。