でも濡れて行ったら、間違いなく風邪ひく

今日は久しぶりの雨らしい雨。
もうザーザー振りまくっている。
霧雨じゃなくて、こういう雨粒が降ってくるような雨は本当に久しぶりな気がする。
関大の桜は今日の雨で花びらがだいぶ落ち、土手や道路が桜色に染まった。
桜は咲いている時も綺麗だが、散ったあとも綺麗だから、なかなか粋な奴だと思う。
「春雨じゃ、濡れていこう」
と昔の人は言った。
雨は雨だけど、冬の冷たい雨と違い、春の雨、春雨はどことなく生ぬるそうで、
確かに「濡れていこう」と言いたくなる。
でも、濡れていったら、間違いなく風邪をひく。
今日も友人が風邪で学校を早退した。
この季節の変わり目、風邪には要注意なわけだ。


さて、話はごろりと変わり、最近Yonda本について。
「読んだ」を'Yonda'にするだけで、新潮文庫ぽくなる。

同潤会に学びたい!

同潤会に学べ―住まいの思想とそのデザイン

同潤会に学べ―住まいの思想とそのデザイン

最近、同潤会アパートメントと言えば、建築系以外の人も結構知っている。
青山の同潤会アパートメントは建て替えの時に結構ニュースになったからかな。
同潤会アパートメントといえば、あのボロいんだけど、そのボロさがなんかよくて、
それで細部を見ればモダンの塊というイメージが僕にはある。
僕が実際に見たことがある同潤会アパートメントは上野にある同潤会上野下アパートメントだけだ。
そのアパートだけしか僕は知らないけど、でもあれを見たときはカッコいい!と思った。
それで建築学科に入り、同潤会のアパートメントが戦前の大昔のものだと知り、
さらにカッコいい!と思った。

What is 同潤会?

そんな同潤会アパートメントを数多く手がけた同潤会だが、
この同潤会がどういう組織かと問われると、これがじつに難解なのだ。
同潤会関東大震災での被災者救援を目的に作られた組織で、
東京各所に救済のためのアパートを設計したというのはよく知られている。
でも、実際にはアパート以外に戸建住宅事業も展開しており、
また被災者救済は関東大震災後すぐの頃のことで、
それ以降は日本の住環境、特に共同生活の環境整備に力を入れていたとのこと。
そういった同潤会設立への経緯や設立後の活動についてわかりやすく書いているのがこの本の特徴。
同潤会の活動期間を青年期、壮年期、高齢期という3時期に区分することで、
それぞれにおいての活動の違いを明確にしている。
また、この本の特徴は同潤会の戸建住宅事業に触れていることである。
同潤会は実はアパート以外に戸建住宅も提供していたのだ。
この戸建て住宅事業も日本の分譲住宅の先駆けとなった重要なものである。

大事なこと

アパートメントと戸建住宅の両方にはある共通点がある。
それは経済性をある程度、度外視している点である。
経済性を考えた場合、最も良いのは同じ家を沢山作る、同じ部屋を沢山作るといった量産である。
量産を行うことは経済性が非常に高く、効率も良い。
しかし同潤会はそれを行わなかった。
アパートメントは部屋がそれぞれ異なり、いくつもの平面形式が用意されていた。
戸建住宅も分譲でありながら、それぞれことなる平面を持つものであった。
これらの「非経済」的なことがなぜ行われたのか?
その答えは単純明快である。
使う人の事を考えたからである。
使う人の事を考えたからこそ様々な平面形式が生まれたのである。
これはよく考えると至極当然のことである。
独身住まいに家族住まい用の部屋は広すぎる。
家族住まい用であっても3人か4人かでは変わってくる。
そういったことをしっかり計画に含めたことは現代では忘れられた取り組みといえよう。

社会に生きる

そして、最も重要なことは同潤会は周辺環境や共同生活などを重視していたことである。
アパートが建つことで、その中で共同生活が営まれる。
その営みを大事にした。
アパートを建てることで周辺環境も良くしようとした。
こういったことは今とは全く異なると言えるのだはないだろうか。
アパートがあれば、その中の一室だけで完結してしまう現代の生活。
それは効率的かもしれないが、どこか人間味に欠ける。
俗にいうご近所さん付き合いのない生活はどこか人間味に欠ける。
人はひとりでは生きていけないとはよくいったもので、
人の生活というのは社会という共同体の中で営まれている。
その共同体を大事にしたということも同潤会の大きな功績といえよう。

同潤会に学ぼう!

同潤会に学ぶということは
「より良い暮らしとはなんだろう」
と考えることである。
設備が整っているだけがいい暮らしかと言われたら、
まあ、そりゃいい暮らしだろうけど、なんか物足りない。
現代の住環境はこの物足りない状態ではないだろうか。
マンションに住んでいると、お隣さんが誰かも知らないとか、
話したことがないとかはざらにあると聞く。
これは少し物足りない。
暮らしの中で人との交流が生まれるときにその物足りなさは解消されるのではないだろうか。
同潤会という組織から現代社会が学ぶことは多くある。
同潤会に学び、それを活かすこと。
同潤会に学べ」というのにはそういう意味が込められているんではないかと僕は解釈している。