イスラームからみたユダヤとキリスト
- 作者: 中村廣治郎
- 出版社/メーカー: 東京大学出版会
- 発売日: 1977/01
- メディア: 単行本
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図書館のやつ。
これを読んで、チョイびっくりしたことを書いていく。
コーランについて研究することはアウト
イスラームでの神学は実は少し前まではタブー*1であったらしい。
神学とはイスラムの聖典であるコーランとかを研究すること。
一昔前まで、これはやってはいけいないことに値したらしい。
コーランに出てくる表現をそっくりそのまま受け止めるか、
比喩として受け止めるかというのが
この神学の論点なのだそうだが、
神の正しき言葉が書いてあるコーランについて、
その内容が比喩か比喩でないか、言ってしまえば、そっくりそのまま信じていいのか、
ということを議論することは、コーランを疑っていることになり、
コーランが絶対であるイスラームにとってはタブーになったらしい。
啓典の民
イスラームとユダヤ教、キリスト教は一般に「啓典の民」と言われている。
啓典の民というぐらいだから、お互いのことを認め合い、
仲良くするのかと思ったら、実は少し違った。
イスラームにとって、ユダヤ教もキリスト教も、
アッラーがつかわした預言者(キリスト教だとイエス)が広めたもので根本は一緒である。
ここまでが今までの僕の理解の範囲。
今回わかったことは、だから仲良くしましょうじゃないということ。
「アッラーがつかわした預言者の宗教だから、少し優遇しますよ」
というのが啓典の民らしい。
イスラームがアラビア半島で勢力を拡大し、
多くの部族がイスラームに改宗した。
特にユダヤ教、キリスト教は「啓典の民」だから、改宗して、
アッラーを信仰するなら、天国は約束されるというのが実態。
啓典の民であっても、イスラームに改宗してアッラーを信仰しなかったら、地獄に行くらしい。
結局、何であれ、アッラーを信仰しないと地獄に行くらしい。
なにかと、奥が深い宗教です。
*1:禁忌