最近思うこと

なんか最近オタクという身分の社会的地位が
妙に向上しておりますね。
鉄オタドラマはできるし、『鉄子の旅』はアニメ化されるし、
ジャパニーズ・アニメという存在も世間的に認められてきている。
僕が中1ぐらいのころには考えられなかったことだ。
その頃といったら、鉄オタと言えば暗いオタクの代表格みたいに
扱われていたけど、
今はドラマや横見さんの活躍により、そのイメージも変わってきている。
僕は、これは非常にいいことだと思う。
でも、一種微妙な気持ちもする。
理由は2つある。


1つは、この社会的地位向上の裏には、オタクというものを
利用して金儲けしている奴が絶対いるからだ。
これは別に悪いことではない。
合法的に金儲けをしてるだけなんだから。
でも、これが僕には非常に抵抗がある。
なぜそうなるかは分からない。
しかし、なぜか抵抗を感じてしまう。
これが1つ。


もう1つは、オタクという存在が
大きく手を振って歩ける時代になったからこそ
出てくる問題のためである。
皆さんは、ダンゴムシをご存知だろうか。
ダンゴムシは普段は暗いところで
ひっそりと静かに暮らしているのだが、
そこにいきなり光を当てると、
ダンゴムシは驚いて、とたんに忙しく、騒がしそうに
動き始める。


現在、起こっている問題がこれだ。
今まで影で活動してたオタクが、
いきなり、社会に認められて、
明るいところで活動できるようになった。
しかし、これがあまりにも急すぎたのだ。
すなわち、今まで影にいた彼らが、いきなり世間に
放たれたために起こる一種のハプニング現象である。
この場合、何が起こるのかというと、
まずは対立である。


「社会的に認められたのになぜ対立?」
と普通思うだろう。
確かにゆっくりと認められていけば、こういうことは
あまり起こらないだろう。
起こっても非常に小規模なものだろう。
しかし、現在起こっていることは
急なのである。
たとえば、ここにある二つの溶液A,Bがあるとしよう。
A,Bはそれぞれまったく違う性質を持つ。
今Aの中にBを注ぐことを考える。
AにゆっくりとBを注げば、二つはたいした反応を
起こすことなく、穏やかなままだろう。
AにいっきにBを注いで、さらにそれを
思いっきりかき混ぜたらどうなるだろうか。
A,Bは互いに急激な反応を起こすのではないだろうか。
いま起こっていることは後者の急激な反応だ。
オタク文化というものが急激に社会に流れ込んだために、
それに反発するもの、それをおちょくりたい者との
対立が起こるわけである。


次に何が起こるか。
それは「一部オタクの横暴化」である。
これは近年非常に問題となっている。
なお、注意書きとして書いておくが、
次から述べることは、
本当にごく一部の人間により為されている事である。
全てのオタクが全員こうなわけではない。
それを理解したうえで、次の文章を読んで欲しい。


近年、オタクの社会的地位が向上する中で、
彼らがオタクでない人々の目の前に姿を見せることも多くなった。
(珍獣のような書き方をして申し訳ない)
問題となるのは、このなかでもごく一部なのだ。


なにが問題か。
それは、そのごく一部の人間が、
常識では考えられない非常に自己中心的な行動をすることである。
なんども言うようでしつこいが、これは本当にごく一部である。
近年得に問題となっているのは、
アニメオタクがアニメの舞台となった町やスポットを
探訪する(「聖地巡礼」というらしいが、僕はこの言い方が嫌いなんで
以下「探訪」を使わしてもらう)行為である。
この行為そのものになんら罪はないと僕は考える。
しかし、問題となるのはその行為から生じるエゴである。


どのようなエゴか。
詳しいことは説明しなくとも良いだろう。
世間的にもかなり話題になっとるし・・・。
いくつか例を挙げると、

  • 地元住民に恐怖感の当てる
  • 周囲の景観を乱す
  • あきらかなる迷惑行為


地元住民に恐怖感を与えるというのは、
風貌のことである。
彼らからしてみれば、普段着同然で、
なんら違和感の無いかっこであったとしても、
それが地元住民に恐怖感を与えるというのは、
問題以外の何物でもない。
これと同じような内容を書いたブログに、
「何もしないからいいじゃないか」
というコメントがあったが、
何もしないから言い訳ではない。
もし、家の近所に大きなカメラを持ち、
リュックを背負った見慣れぬ団体がうろついていたら、
普通なら恐怖感持つだろう。
周囲の景観を乱す。
これは非常に問題となっている。
(特に神社、お寺、有名観光地などで)
いわゆる場の雰囲気を読めないというヤツである。
迷惑行為というのは誰がしても許されるものではない。


これらの行為が何を生み出すか分かるだろうか。
これは社会のオタクに対する激しい嫌悪感を生むのである。
しかも、嫌悪感の矛先は全員に向けられる。
もちろん、世間一般の秩序をしっかり守っているものにも。
こういう事態が起き、さまざまな誤解が生じたりするのは
間違っている。
これを止めるには、全体的なモラルの向上化が望まれる。