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大学講義 野望としての教養

大学講義 野望としての教養

なぜ一般教養科目は必要なのか
 
この本によると、教養というのは自身の立場、存在を明確に知る手段らしい。
現代の都市において、自身の存在意義というものを知ることは大変困難である。
以前であれば、身分制度もしくは肩書というものが存在した。
身分制度士農工商、肩書は農家とか漁師である。
これらのものが存在しているうちは、自身の存在議の確認など必要なかった。
農家は野菜を作り、それを食べたい人に提供するという意義があり、
漁師にも同様のことが言えた。
しかし、身分制度の崩壊、都市の発達により自身の存在意義の確認というのが困難になった。
例えば、個々人のサラリーマンの存在意義を問うと、
それは会社の発展だとか、日本経済活性化というものになるが、
それらから具体的に自身が社会でどのような立場にいるかを知ることは難しい。
だから、教養でもって、自身の立場を明確にしようとするのである。
教養を身につけることとして読書があげられるが、
なぜ読書が教養に当たるのかというと、
本を読むことで自身の立場を知るからである。
自身の位置を知る、すなわち「己を知る」ということが
社会を生き残っていくために必要なのである。
 
というのが、今日読んだところの内容。
この本はなかなか面白い。